こんにちは!猫大好きnoramieです!
先月後半、体調を崩してしまい、気が付けば更新が滞っており…
誠に申し訳ございませぬ。_(_^_)_
初めて帯状疱疹を経験し、病院嫌いな私も流石に通院せざる負えず。
お陰様で早めに完治したものの、薬の副作用やら、親の通院も相まって若干忙しく。
けれど色々検査して、改めて自分の身体と向き合う良い切っ掛けになりました。
酷暑やコロナの続く中、皆様もくれぐれもお気をつけくださいませ。
さて、前置きが長くなりましたが、今日は、猫ではなく犬のお話を
しようと思います。よろしくお願いします。
人生初の自分の犬、そして葛藤。
実は、子供時代、犬は苦手な存在でした。
というのも、まだ3歳くらいの幼少期に犬絡みのショックな経験があったからです。
近所の路地裏に、白い中型犬が居て、よく遊びに行ってました。
ある日、いつもの様に構っていると、突然お腹をカブっと甘噛みされました。
調度、ワンコがご飯の途中で、私がしつこく触るので怒ったのです。
全く痛くも無く怪我もしなかったのですが、驚いてフリーズ状態。
泣きもせず呆然とする私に、同行していた親が放った一言が
「食事中にちょっかい出す、お前が悪い。」でした。
礼儀知らずな子供でも意味は解り、そういう親で良かったなぁと
今では思います。とは言え、それがトラウマになってしまい
小学校の頃も、近道で行きたい場所があっても
あの道には、吠える大きな黒い犬がいるから怖いなーと避けてました。
大人になり、そんな犬は恐いと言う思い込み呪縛を解いてくれたのが
同級生宅の雑種犬チロッチョでした。親同士がPTAで仲良しだったので、
その犬のことはよく聞いていました。共働きで忙しい家で、あまり満足に
お散歩に行けていないとのことだったので、当時、時間のあった私は
代わりに連れて行ってあげるよ!と言い出した事が切っ掛けでした。
彼は、とても陽気で食いしん坊で人懐こい、とても素直な犬でしたから
私達は毎日の様に河川敷へ行き、散歩を楽しんでいました。
その日も、春休みで遊びに来ていた、そのお宅のお孫ちゃんと一緒に
長めの散歩を楽しんでいました。テンションが上がったチロッチョは
川沿いの草むらに飛び込んで戻らないので「ほら、もう帰るよー!」と呼ぶと
ひょっこりと顔を出し…えっ?あれ?チロじゃない!なに仔犬?違うな…。
そこには、ボロ雑巾の様な姿で、木の根元に寄り掛かった柴犬が居ました。
迷いましたが、放っておくわけにもいかず、予備のリードを付けて
一先ず、家に連れて帰りました。
とにかく元気も活気もない、皮膚はあちこち脱毛し、黒いかさぶたの様に
なっていて、目も白く濁っていたので、いくら犬に詳しくない私でも、
相当な老犬で、明らかに病気であることは理解できました。
家族・知人の激しい反対や呆れ、という予想通りの当然の反応に
心が折れそうになりつつも、動物病院へ行き診察を受けました。
病名は、甲状腺機能低下症というホルモンの病気でした。
避妊手術の跡はあり、推定10歳前後の雌という診断でした。
発病してから時間が経っているらしく、完治の見込みは難しいが
薬の処方と痒み止めの注射を打ってもらい、通院する事になりました。
ついでに、万が一飼い主が探している場合も考え、迷子犬預かっています
のポスターも貼って貰いました。2件ほど問い合わせがあったものの
犬違いで、どうやら病気になって捨てられたのだろうと思われました。
捨てられた事が事実であったら、元飼い主がポスターを見た時に良心が痛むようにと
しばらく貼り続けました。結局、その効果があったか無いかは?でしたが、後に
彼女が1ヶ月以上も、あの場所でホームレス生活をしていて、数人の犬好きさんの
お世話になっていたことが判明しました。餌や敷物を提供してくれたり、雨の日は
自宅へ避難させていた人も…ただ先住犬のヤキモチで飼えなかったらしい。
保護した時、付けていた赤い首輪は、その方達のプレゼントの様でした。
そして、どうやら経営難で閉鎖した工場の夫婦が、引っ越しの際、病気の犬を置き去りにした
と言う噂もありました。昔、駅の近くの路地裏で、沢山の鶏を飼育している変な場所があり、
ある一定の時期だけ、鶏と同様の簡易小屋に、仔犬が数匹入っているのを見かけて
不思議に感じていました。いわゆる素人ブリーダー的な事をしていたのだろうな。
近所で柴犬を飼っている人達の中には、そこからペットショップより安く譲って貰ったと
話している面々もいたのでした。小遣い稼ぎ感覚で繁殖して譲った犬達が、後にどういう運命を
辿ろうが知った事ではない訳か…無性に腹立たしい。怒りと共に、初めて会った日の
彼女の捨てられた犬の目、生死の選択も出来ずに諦めた様な目を一生忘れないと思いました。
闘病と存在の重さ
犬らしからぬ彼女は、メリー(merry=楽しい)さんと名付けられ、正式に登録し
家の、私の犬となりました。病気の通院は続いていましたが、フードの選り好みはせず
胃腸も丈夫だったので、朝晩の散歩時にクルクルと回ったかと思うと、立派なウンPをし、
排泄が済むと歩きたがらないので、帰りは抱っこが定番に。(;´∀`)
つくづく小型で良かったと思う日々でした。
当時は、車の免許を持っていなかったので、通院はもっぱら自転車でした。
猫と違い、キャリーに入れると大きく重いので、自転車の前籠を新聞屋さんが
使っている様な一番大きい物に付け替えて、彼女の特等席として使っていました。
大人しくてジッとしているけど、危ないので念の為、タオルや毛布で包んで乗せて
走っていると、通り過ぎる人々に、ギョッとされたり笑われたり…。
最初は、恥ずかしい気持ちもあったのですが、いつしか反応が面白くなってました。
知り合いには、映画の「E.T.」みたいとも言われてましたねー。ハハハハ、確かに。
そう、丁度こんな感じでね。(笑)
病気の方は、近場の病院へいくつか通ったけれど、やはりあまり良くはならず
調べた所、薬と痒み止めの効果が拮抗してしまい治らない様でした。
ついには、加齢と薬の副作用で免疫が落ちてしまい、アカラスという寄生虫由来の
皮膚病になってしまいました。最終的には、大学病院を紹介してもらい、毎日薬浴を
する様に液剤を処方されました。
大変でしたが、ベタついていた皮膚もサラっとしてきて、次第に痒みも治まり
なんとポヨポヨとした新しい毛が生えてくる奇跡も起こりました。
とにかく、痒みが酷かったので、落ち着いて気持ちよくスヤスヤと寝ている姿を
見られる事が、私にとって何よりの安らぐ時間でもありました。
もうその頃からは、外ではなく、自分の部屋で過ごしてもらっていました。
猫との相性も悪くはなく、こんな感じで距離を保ちながら同居出来ていました。
黒三毛、タヌちゃんと。
掻き壊し防止の赤いちゃんちゃんこは、友人からの頂き物。
あ、後ろにピントが合ってしまった!
めりさん、イルカちゃん、ウマちゃん、微妙な距離間。
部屋に入れた事で、唯一困ったのはですねー。
人が部屋で何か食べようものなら、匂いで感づいて欲しがり
貰えるまで「ゔっっ~、ワンっ‼」と鳴く事でした。
結構食いしん坊で頑固なお婆ちゃんだったのですよー。(;´Д`)
で、一時太り過ぎてしまったので、部屋での飲食は止めました。
そうした日々は、5年程続きました。
突然の別れは、春のお彼岸のお中日でした。
毎日のルーティンをこなさなくてよくなり、楽になったはずが
私は抜け殻の様になっていました。燃え尽き症候群?
家族身内以外に彼女の訃報も告げられないまま、ひと月ばかり
腑抜けた状態に…_( _´ω`)_
何だろー猫との別れも、勿論、辛いし悲しいんだけど、
犬って生活のサイクルに密着しすぎて、違う意味で切ないものなんだなぁ。
と、初めての気持ちに戸惑い感じつつ、犬に対するイメージが大きく変わりました。
保護当時は、周囲から心無い言葉を投げかけられたり、
彼女の外見を好奇な目で見られたり、同情さえも気になり、
いちいち傷ついていた自分がいたのですが…(大体、気にすること自体
メリーさんに失礼だよな。)いつしかそんな些細な事は、どうでもよくなった。
そのくらい、私は心底彼女が可愛かったから。メリーさんとの楽しかった日々を
今でも時々想い出してしまいます。
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